弦楽四重奏曲第四番
第一楽章より
CD「ラインハルト・オッペルの芸術」について
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収録曲:
弦楽四重奏曲第4番 へ短調 作品33
グラーヴェ ト短調(無伴奏ヴィオラのための組曲より)
歌曲「バラに寄せて」「贖罪」
演奏:
スターヒル・カルテット
立木 茂 (ヴィオラ・ソロ)
柳沼 美佐子 (ソプラノ)
雁部 一浩 (ピアノ)
演奏者プロフィール:
2015年、東京都千代田区永田町の星が丘にて結成。合唱の伴奏などが主たる活動であったが、北テキサス大学の「失われた作曲家」のプロジェクトに参加し、ラインハルト・オッペルの作品の蘇演に取り組んでいる。雁部一浩氏の指導を受け、2017年12月に弦楽四重奏曲第4番を公開演奏した。
(第1ヴァイオリン 前田 秀、第2ヴァイオリン 前田 薫、ヴィオラ 立木 茂、チェロ 北村 祐美子)
立木 茂 (ヴィオラ・ソロ)
ベルリン カラヤンアカデミーでG.カッポーネに、パリ エコールノルマルでB.パスキエに師事。ドイツ、イタリア、ギリシャ等ヨーロッパ各地のオーケストラに在籍した後、ブラジル首都ブラジリア音楽院ヴィオラ教授、メキシコシティの黒沼ユリ子音楽院副校長、黒沼ユリ子弦楽トリオヴィオラ奏者を務めた。帰国後、群馬交響楽団に在籍、日本弦楽指導者協会理事長。タイ国立シーナカリンウィロート大学名誉教授。
柳沼 美佐子 (ソプラノ)
武蔵野音楽大学声楽科卒。2010年より雁部一浩氏に師事しドイツリートと日本歌曲を学ぶ。音楽教室などで声楽講師を務めながらコンサート活動を行う。
雁部 一浩 (ピアノ)
後期ロマン派の精神を継承する作風で、代表作に近代詩による歌曲集の他、「ピアノの為の幻想曲」「フルートとピアノの為のソナチネとロマンス」「ピアノ三重奏の為のロマンス」(以上、音楽之友社刊)。ピアニストとしても活動し、各地でのリサイタルの他、声楽、室内楽を含む数々の演奏会を行う。CDには「平野忠彦が歌う雁部一浩歌曲集」「ヴィンテージピアノアルバム」「クライスレリアーナ」他、講演や執筆も多く、著書に「ピアノの知識と演奏」がある。
録音日 :2018年1月6日(弦楽四重奏曲)、2017年12月29日(その他の曲)
録音場所:代官山教会チャーチホール
弦楽四重奏曲第4番 へ短調 作品33
第一楽章は、ソナタ形式であり、拡張された前奏(1:35まで)により開始する。前奏はf-mollの主和音からC-durの属和音に(0:30)、そこからcis-mollに移行し(1:05)、下中音であるDes-durとなる(1:22)。一般的なやり方とは対照的に、第一主題は主調でなく属調で開始し(1:36)、1:57で漸く主調を確保する。詩的な第二主題はフーガ風に提示される。最初はヴィオラにより「主題」が導かれ(2:35)、第二ヴァイオリンによる「応答」(2:55)、チェロによる再度の「主題」(3:15)、そして第一ヴァイオリン(3:36)とヴィオラ(3:52)が最後に入る。展開部(4:13)は、提示部と同じように属調(C-dur)で開始し、すぐにDes-durに移行し、属調で再度演奏され、再現部の開始部分(5:13)の主調f-mollに半音階的に上昇する。このように、再現部は「主調なし」に開始すると、f-mollの主和音が戻りヴィオラによる第二主題の最後の提示(6:13)まで保持される。展開部は著しく第一主題の素材に焦点が当てられているので、再現部(5:13から最後まで)は、第一主題は完全に省かれ、専ら第二主題に充てられている。結果的にソナタ形式は異例のものとなり、第一主題の提示(1:36-2:34)及び第二主題の提示(2:35-4:12)を伴い、引き続いて第一主題が展開(4:13-5:12)し、第二主題が再現(4:13から最後)している。
ベートーヴェンの後期の慣習を踏襲し、第二楽章はスケルツォであり、調性はf-mollの主和音である。全体的な形式は、スケルツォが二つの異なる対照的なトリオで分けられて3回演奏される。スケルツォそのものは、f-mollの主調による長い前奏(0:46まで)と比較的圧縮された接続部(0;47-1:06)に更に分けられる。二つのトリオは、それぞれが二つの部分に分かれた「二部形式」であり、各部分は繰り返される(AB)。最初のトリオはB-moll(下属調の長調)であり、比較的短いA部(1:10-1:34)、それに「応える」非常に拡張されたB部(2:10-2:35)を含んでいる。二番目のトリオはC-dur(属調)であり、等しくバランスしたA部(3:53-4:38)とB部(4:39-4:53)を含んでいる。
ベートーヴェンの多くの作品と同じように、Des-dur(曲の主調であるf-mollの下属調)のアダージョは、作品の「精神的中心」を構成している。アダージョは二つの主な楽想から成り、主調des-durによるA部(2:47まで)、属調As-durによるB部(2:48-3:54)、主調DesによるA’部(3:55-6:09)、上中音であるf-mollから属音Asを経てDes-dur主和音(6:10から最後まで)に戻るB’部と、行きつ戻りつ形式を形作る。第一主題は、A部において集中的に展開されるが、チェロによって奏され、Des-GesとAs-Desの二つの上昇する完全4度を対比させ、F-Besの「苦痛の」減4度を伴っている。これらの上昇する4度の主題の関連性を通じ、アダージョは終楽章のフーガ的な開始に動機的な側面でつながっている。実際、終楽章冒頭のフーガ主題は ー C-F、A-D及びG-Cの上昇する完全4度を含み、精力的に新しい命を提示することにより、アダージョでの減4度を ー「癒す」ことを試みるー 若しくは少なくとも和らげている。アダージョのチェロの主題における三つの上昇する4度は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ変イ長調作品110(オッペルがバッハ年報の理論的記事で深く議論している作品)のフーガ主題を連想させ、Et expecto resurrectionem mortuorum(我、死者の復活を待ち望む)という言葉があり「上昇する」4度が死からの復活を表現している荘厳ミサのクレドを連想させるものである。オッペルが妻の内にある死の予感に直面しこの弦楽四重奏曲を作曲したことは注目に値する。
終楽章はフーガとソナタ形式を統合している。繰り返しになるが、オッペルの最初の手本はベートーヴェン、特にベートーヴェンのピアノ・ソナタ変ロ長調作品106(ハンマークラヴィーア)の終楽章及びブルックナーの交響曲第五番であったと思われる。ソナタ形式の観点から、この楽章は、提示部(2:02まで)、展開部(2:03-4:12)、再現部(4:13から最後)の三つの大きな部分に分けられる。終楽章の最初の部分では、F-dur主和音で第一主題が完全なフーガによって提示(0:43まで)される一方、広がりのある詩的な「第二主題」(0:44-2:02)は、調性的に下方の下中音であるDesに位置している(アダージョの調を想起させる)。展開部は、主題の順番を入れ替えて第二主題を最初に扱い(2:03-2:57)、続いて、フーガ主題が直線的に重なり合い、同様に転回する(2:58-4:12)。再現部は、正確に順を追って、フーガの提示に始まり(4:13-4:47)、第二主題の再現(4:48)が下属調のB-durで「主和音なしに」開始し、ようやく5:18に至って主和音の主張が再び支配的になる。作品は華麗に終結し、ハーモニーはF主和音から段階的に上昇し(5:18)、Fis-dur(5:21)、As-dur(5:56)、b-moll(6:13)を経て属調のC-durに到り(6:32)、ついに主調F-durに戻って曲を終える。
グラーヴェ ト短調(無伴奏ヴィオラのための組曲より)
無伴奏ヴィオラ組曲は、第二次世界大戦中の1940年に作曲され、1941年後期の死に先立ってオッペルによって作曲された最後の作品の一つである。彼の年長の息子達はドイツの戦争に巻き込まれたが(一人はロシアで亡くなったようである)、オッペル自身は、 ― ヒトラーの初期の勝利に強い印象を受けながらも ― 戦争の熱狂を殆ど感じていなかった。1940年の初めに、オッペルは、親しい友人かつ同僚であり合唱指揮者・作曲家のヨーゼフ・クネッテルに次のように書いている。「1940年には、我々すべてがこの忌々しい戦争の早期終結を目指すことを望む。」1941年10月4日、死の少し前、ドイツが戦争にまだ表向きは勝っていた頃、オッペルは友人に「この戦争に私の心はない!!! 目的は何だ?ヒトラーは共産主義を破壊しないだろう。犠牲者達!我々の財政は破滅している。政党の傲慢さ!・・・しかし、口で議論するしかない」と打ち明けている。次第にオッペルは、音楽面及び文筆面において、「沢山のスコア」を研究しシェークスピアを読むという過去の巨匠の世界に引きこもった。組曲は、1)前奏的なアダージョ、2)フーガ、3)このCDで演奏されているグラーヴェ、及び4)主題と変奏という四つの楽章から成る。その音楽は、オッペルのバッハとヘンデルに対する深い尊敬が滲み出ているが、自身の個性的語法を通じて偉大な音楽的過去を現在に変換できていない。グラーヴェにおいては、外的なものがすべて脱ぎ捨てられた印象を受け、純粋な精神が残される。
歌曲「バラに寄せて」「贖罪」
ここで演奏されているヘルダーリンの詩による二曲は、オッペルが1923年頃から1926年初期にかけての作曲家と「ジゼラ・ウィンクラー」の関係に関連して作曲した一連の16の歌曲という、より大きな背景において説明されなければいけない。オッペルの16の詩の選択と配置は、そこにはウィンクラー自身の詩も含まれているが、精神的な強い親密感にもかかわらず、主人公たちは決して結ばれないことを示唆している。
D-durの「An eine Rose」(バラに寄せて)においては、第二節で「嵐」のイメージが「あなたと私の両方に花びらを落とし」、愛の道に置かれた乗り越えがたい障害のことを言っているようである。音楽的には、オッペルは調性をDes-durに半音下げることによって負のイメージを描いている!「不死の種」は新しい花を咲かせないため、詩は関係の不滅の芸術的生産性を祝福する、という考えも、結尾においてD-dur主和音が再度主張されるような設定に反映されている。
As-durに設定された「Abbitte」(贖罪)では、恋する女が叙情的な自我から痛みを「学んだ」ことを認識し、彼女の許しを求める。男の主人公は、自身を過ぎ行く雲に例えて、月から原始的な美の輝きへと逃れようとして、女の許しだけでなく彼女が彼を忘れることも求める。彼女は、彼らの愛が尊いが絶望的であることを認めなければならず、オッペルは「過ぎ行く雲」の歌の声部に、高いGesによる3回のピーク、最初の「痛み」(Schmerzen)、二番目の「輝き」(glänzest)、最後の「最も甘いもの」(die süssest)、という痛烈な音楽的比喩を行い、「過ぎ行く雲」そのもののように、歌は毎回低い音まで滑り降りている。
(CD「ラインハルト・オッペルの芸術」プログラムノートより抜粋)